自分が経験をしてしっていく。
という道筋と、
経験している人を見て学んでいく。
という道筋があります。
例えば、ここにウンチがあるとします。
(パッと浮かんだのがウンチだったので
これで行きますよー。)
でも。
ウンチというものが何かわからない子供
ならば全然余裕でそれを踏めます。
なんならそれで遊べます。
が、それが何であるかを知ったらもう
余裕では踏めません。
周りのルールとして、ウンチを踏んだら死ぬほど
いじられるというルールがあるような
小学生ならば、ウンチを踏むという行為
自体がとんでもないネガティブ威力を持った
“事故レベルの悲劇を生む存在”
になるんです。
これが成長と体験という道筋です。
では、もう一つの道筋です。
ウンチが何であるかは知らないが。
それを踏んだ大人が劇的に
「あーーーくそーーーー
最悪だーーーー。」
って、悶絶の表情を浮かべながら涙目に
なって今の現状を嘆いている。
のを見ると、もうその子は自分は経験をして
いなくても、ウンチというものは最悪なもの
としてインプットされてしまうわけです。
で、次からもうネガティブなものとして
ウンチを見るようになり、避けるようにして
歩くようになるんです。
たった一つの単語。
ウンチという単語を使うだけで、真面目な話が
まったく真面目に見えなくなるのですが。
もうここまで進めてしまいましたので
このままお話をしてきます。
ふざけているような話なのですが、大切な話
なんです。実際の内容としては。
って事は。
私達はまだ未経験の事。
チャレンジもした事がないような事。
でも、それに関して周りの人が大げさなまでに
ネガティブな反応を示していたら。
自分はまだ試してもいないのに、同じような
考えであったり、リアクションであったり
を取るようになって最初からやらなくなって
しまうようになるんです。
特にネガティブな反応。
恐怖・不安といったものは非常に伝染しやすい
ので、そういった反応をしているのを
見てしまうと、もうその対象にチャレンジしよう
という気持ちが無くなってしまうものなんです。
自分はまだ何もしていないのに。
常識ってこれの一つです。
〇〇が常識だから。
と周りの人が皆、それが当たり前として
インプットされていると自分もそれが常識として
インプットされるんです。
まだ何もしていないのに。
〇〇なんて無理だよ。
というのはその典型です。
下手をしたらそれを言っている本人も何もして
いないのに周りが言っているからという
理由で何もしていないのに、無理って
なっていき何もしなくなる。
ので周りの環境は大切というのはこういった
影響もあるからだったりします。
でも、一部のアホの部類の人は、全然そういった事を
感じる事もなく
「え?やってみないと分からん。」
とやってみて、グイグイ進んでいける。
そしてガンガン良い結果を手にしていく。
というケースがあったりするんです。
その変わりえてしてその人は変わり者という
印象になるのですが。
特に何もやっていない事で恐怖の反応が連鎖して
しまって何もやらないで怖がるというのは
もったいないです。