話をしたい相手が出来た。
どうしても話をしたい相手。
それは自分の子供かもしれない。
自分の大切な存在の人かもしれない。
その時に話ができる強いストーリーが
無いってのはどうでしょう。
それが前回までのお話。
さて。
このお話のテーマは、
「精力的に動くために。」
でしたね。
俺が少なくとも今比較的普通の
男性よりも精力的に動いている
のは、恥をかくとか、失敗をするとか。
そういった事は百も承知で動いている
わけなんですね。
いいんです。
どうせ最初から上手くいった事なんて
ありませんから。
失敗をする前提。
恥をかく前提。
難しいのもしってる。
どうせ器用に物事はこなせないから。
人より上手くやれた事なんてない。
そんなの自分と付き合っていれば
十分に知っている。
ただ必ず、それは自分のストーリーに
なる事も知っている。
人様に面白いと言ってもらえるような
ストーリーになる事も知っている。
たまに人様を助ける事ができる
ようなストーリーになる事も知っている。
後からそれを話したい。
それが先立っている。
それが担保になっているから
精力的に動く。
分かっているから。
楽しい話になる事が。
大きく失敗すれば、それが楽しい
ストーリーになる。
失敗なんかすればいい。
失敗しないまでやれば、嫌でも
どうせ成功するから。
もっと大きな枠でお話をすれば。
完結する事を前提に考えている。
自分のストーリーは必ず完結する。
自分という人生のストーリーです。
その時にまるで第三者が話を
しているように話をしたい。
そしてそのストーリーを聞いてくれて
いる人達に笑ってもらいたい。
精力的に動ける原動力の一つは
こういった所にもあるなって
思うわけです。
動けない人は、
自分のストーリーは必ず完結する。
自分という人生のストーリー。
ここと思いっきり向き合ってみると
良いです。
まずは自分に自分のストーリーを
聞かせてあげる事を想定する。
その時に自分は笑ってくれて
いますか?。
「その話、おもしれーよ。」
って自分は言ってくれていますか?。
ここを真剣に考えてみてください。
自分が笑ってくれない自分のストーリー。
それはちょっと嫌じゃないですか。
少なくとも自分が涙を流して
爆笑してくれるストーリーを作りたい。
それは今からも作れるもの。