私たちは例えば対人間の事に関してであったり
女性の事であったり
性に関してであったり
解らない事が山ほどあります
そして完全に分かるという状態には
なることはありませんし
なってはいけないと思っています
私たちがなぜ全て分かったと思っちゃいけないのか
と言うと人間は誰しもそうなんですが
これについて私は完全に理解をした
という風になった段階から
もう、その対象について
考えなくなってしまうからです
つまりもう自分は全部知ったから
もうこれ以上を知る必要がない
という立場を取ってしまうわけです
そうするともうそこで、成長は終わってしまうわけです
世の中のことというのは多くのことが
結局は分かっていないもので
溢れているんです
ですから私たちはすべての物事に対して
全部知っていくというのは基本的に
不可能だという立場で
ちょっとふわふわっとした判断もいるし
していかなければならないということを
知らないといけないわけです
私たちは何でも、ついつい全部完全なる答えがある
と思ってしまっています
でも、わかっていないことなんての方が
多いわけです
例えば今普通に医療とかが色々ありますけど
あれ実はわかっていないことも
めちゃめちゃ多いんです
例えば典型的な例が麻酔とかありますが
あれ何ていうのは完全に理由が成立していて
使われていると思われているかもしれませんが
結局はあれなんで効くのかイマイチちゃんと
説明できないそうです
っていう話を小耳に挟んだりなどのように
私たちが当然これには完全なる正解があるだろう
と思っていることが全然は正解がないんだよ
ってことが山ほどあるって事を知ってた方
がいいわけです
そうすると私たちは、わかっているっていう
立場を取ったらダメなんです
基本的にわかることはない
その上で何とかわかろうとしようとする
そこで改めて少し上に
上積みが積みあがってくわけです
私がこれまで女性の事に関して
お話ししてきていますが、よくまあそんだけ
話しすることがあるね
となるかもしれませんが
いつまでたっても人間のことがわからないんです
そして今でも人様を怒らせるんです
あー何で怒ったんだろう
と考えても答えが出ないことがいっぱいあります
でも自分なりに、その中で答えを出してるんです
そしてそれをまた話ししてるんです
でもそれが本当に正解だったのか
と言われたら正解かどうかは
分からないということがいっぱいあるんです
でも自分の中での解釈としては
こうだったんじゃないか
理由はこういうことがあるから
というふうに考えて言ってるわけです
なので私が話してることというのも
それが答えだという風に思っちゃいけないです
あくまでも参考にする
程度でいいわけです
なぜならば答えがない
という活動をしているからです