言葉にはその人が何を知っているのか。
それが分かるようになっています
でもそれをある程度、以上の精度で判断できるためには
自分自身にも、ある程度以上の知識が必要に
なってくるんです
知らないって事は、判断の基準も知らないって
事になるので、そこに表現されている事の
本当を知る事ができなかったりします
例えば女性に対して
自分が性の専門家であるということを
表現したい場合
多くの男性は自分が100%女性を
高いところまで連れて行けます
そういった100%の技術を持ってます
という風にストレートに表現をする男性が
多々いるわけです
ですがそれっていうのは、ちょっと性について
理解をしている人にしてみれば
嘘だ
ってことがわかるわけです
まず単純にそういったことを言っている
男性というのは誇大に言ってるというのが
ほぼ決定的だからです
なぜ決定的なのかと言えば
現実に全然マッチしてないことを
自分で思いっきり言ってしまっているからです
実際にいろんな女性と接してみると
分かってくることがあるんです
そもそも100%なんてことはありえなく
そしてさらに一番大きなミスをしてしまっているのが
この100%という言葉です
活動の中で「女性側の答え」をそれぞれ見ていくのが
当然に必要であるということを
全く無視してしまってるって点です
これは現実問題として、実際に女性を見てみないと
私たちは何とも言えないわけです
なぜならば男性と女性の体の違いが
そもそもあります
男性みたいに100%の形という風には
なってないんです
男性は分かりやすい仕組みです
女性側は様々な要素が絡み合った上で
やっと高みに向かっていける
という条件があり
そして女性側の体調などもあり基本的に
決定的になっている
絶対にこうなる
という風には言い切れないんです
より現実的に何回もそういった場面を
過ごしていればいるほど
それが分かるはずなんです
ですから、ある程度以上の感覚としての
経験を持っている女性側ならば、
女性側も誇大ってことがわかりますし
この男性はなんか駄目そうだな
ってことがわかるわけです
※女性は自分の体感覚を通して理解がある程度
できますが、男性は(女性側の)体感覚の理解が出来ないので
知識でその点を補完しないといけないんです
では私たちはどうするのかと言うと
こういった直接的な表現というのは
別に必要ではないんです
自分が発信しているものを見てもらって
女性に感じて判断してもらえばいいわけです
必要な事は、誇大な事ではなくて
本当の事です
女性側がまだ知らない本当に事です
あとはそれを女性が見て判断をします
女性が自分で判断したことは信用します
女性がこの人は凄いなと思ったら
それが本当だと思うんです
なぜかと言えば女性がそう判断しているからです
私たちは女性がそう判断できるような
表現をしていけばいいわけです
ではそういった表現をするためには
どうしたらいいのか
といったら、まずはいろんなことを知っていく
ってことが必要になるわけです
ですからここをなくして
女性から本当に専門的なものを持ってそうだな
と思わせることは無理なんです
でもめんどくさいがあるので
インプットする労力を省いて表面的にやろうとすると
単純な話をするしかなくなります
「俺はすげーぜ」
っていう表現を使わざるを得なくなるんです
でその表現はチープで現実にマッチしてないので
女性もスルーするわけです
無い所から、無理やりある様に見せる
使う言葉って、何を出したらいいのかの選択肢も
ないので、どうやっても薄い言葉しかだせない
自分が言いたい事がある
という前提でないと、言いたいことがないのに
無理やりすごいと感じさせたいという
部分だけが先行して
結果、すべってすごい薄っぺらい言葉が出される
わけです