物事は、ルールを理解している人が、
上手く運べるようになっています。
つまり、理解しているというならば、
今の自分が不満足な場所には、
いないわけです。
もし、そのような流れについて、
お話をするとします。
そうすると、次の一手が待っています。
「ルールは知っている。
ただ、そのルールの内容は、
自分には実行不可能な内容になっている。」
という一手を持っている。
でも、自分で理解出来る事で、
実行不可能な事はない。
という実際のこれまでの経験に、
基づいた考え方については、無視をする。
そういった全体の流れを通して、
自分は完全なる被害者という立場を
取りつづけて、その場所に居続ける。
それが正しい言動として
主張しつづける。
被害者だから、処置をするべきだと、
回りにそれを要求してしまう。
自分は知っている。
回りは知らない。
この考え方は、非常に危険。
むしろ、自分は何もしらない。
回りの有利に生きている人は
知っている。
これを採用した方が、
より現実的だと思うのです。
そして、ルールには、
こんなルールの設定はありません。
ルールを知っている人に、
聞いてはいけない。
ルールを知っている人から、
盗み取ってはいけない。
このようなルールはありません。
だから、私はこのように推奨します。
ルールは、知らないと
上手く物事を運べません。
下手をすれば、不利益ばかりを被ります。
だからこそ、知っている人がいれば、
出来る限り、全部を学び取ってしまえば良い。
これが、私の採用している
1つのルールです。
結果的に、ちょっとオバカにも、
関わらず、現状、
それなりに楽しい位置にいる事ができるのも。
多くのルールを
吸収・蓄積してきたから
かもしれないわけです。
上手く、好かれながら、
有利に生きていくルールは、
存在しています。
そして、それについて、
誰が知っているかは、明言されていません。
そのルールを、知っている人から、
そのルールを盗み取る事については、
処分をされないのです。
そういったものは、
聞き放題の盗み放題
だったりするのです。