このポイントというのは人を見て行く時に
結構私たちが行ってしまいがちなミスの
ひとつなんです
私たちはその相手を見て愛想がいい人
笑顔が多かったり、感情豊かであったりする人を
見ると、ほぼ無条件でこの人はいい人だな
って思うんです
で一方、愛想はあまりない人については
この人は冷たくて嫌な人かもしれないな
とかって思うんです
この差っていうのは一体どこからくるものなのか
って言うと愛想のいい人っていうのは
脳の部位での相手の感情の動きを読み取ったり
他人の思考っていうものを素早く読み取る
部分が大きめに作られているので、その瞬間に愛想よく
対応できるんです
でこういった脳の作りっていうのは
かなりの部分、半分近くは遺伝によって
決まっちゃうんですね
さてここで問題なんですけれども
じゃあ実際に愛想がいい人は人の感情が読めたり
他人の思考なんかを汲み取ることが
できるから、いい人なんじゃないか
って思うかもしれないんですけどでも
この事で良い人間性であるということとは
結びつかないんです
ただその人は愛想よくできる人であって
良い人間性を持っている事とは
比例の関係にはない
愛想よくできない人
が冷たい人、人を陥れる人
利己的な人といったような事とは
比例の関係にはない
これはしょうがないことで私たちに
備わっている固定観念なんです
やはり愛想よくしていれば温かい人に見られる
無愛想であれば冷たい人に見えちゃうんですね
ですが私たちはこういった固定観念を
持っているんだよってことを知った上で
ちゃんとその人がやることを見て
行かないといけないんです
この人、友好そうだから大丈夫
とかそういった判断の仕方をすると
行動を見ないで完全に信頼していると
すげえ痛い目を見たりするんです
逆に不愛想でこの人、冷淡そうだなと思って
もう付き合わない
ってしてても実はその人自体がものすごく
いいやつで親身になって色々と人のことを
考えながら付き合えるやつ
ってことも全然あるわけです
これらから私たち側が愛想のいい人を見たり
無愛想な人を見たりしたときの
より良い判断の仕方は固定観念を入れて決めつけて
みないって事になります。
逆に自分が発信する場合は
もうお分かりの通り
自分がいいやつであろうが悪いやつであろうが
愛想を良くしたほうがいいってことなんです
そうすれば人間の固定観念として
この人はいい人だ
友好的な人だ
優しい人だ
っていう風に最初から処理してるくれるからです
もうそしたら圧倒的に有利なわけです
この人はいい人
という前提で関わってくれるので
それだけで一気にハードルが下がるわけです
ということで私たちは
この両面を理解しながら人間と
関わっていけると良いわけです