自信やプライドを身につけるために
何かしら他の人にはない技術を
身につけたり成果を出したりして
自分の自信やプライドというものは
身についていくという考え方があります
確かにそういった面もあります
ただそれを少し誤った方向に
理解をしてしまうと
代表的な誤った方向に使うのが
自慢
という形になっていきます
他の人にはないものを自分は
所持している
身につけている
そこに自信やプライドを
持ってしまう場合
他の人がそれを知らないので
それを自ら大きくアピール
していくことになる
しかし第三者はそういったことに
興味があるわけではないので
それを何回も表現されると
自慢というように理解されて
その人の評価を上げる
どころかむしろ下げて
しまうことになるわけです
自信やプライドというものを
自慢の方に利用してしまう人
というのは傾向として
自分自身が第三者から
求められている
認められている
という感覚が薄い
というのがあります
そのために自らの存在などを
アピールしたいと考え
自分の特別な能力であったり
技術であったり
手に入れているものを
表現するわけです
しかしそういった対象を元にして
第三者はその人を認めるわけでは
ないわけです
もう少しシンプルに考えていくと
認めてもらうということは
こういった形で感じることが
できるわけです
それは例えば自分自身が
会社など一週間インフルエンザ
などで休んだ
その後出社した時に
「お、大変だったな
もう大丈夫なのか?」
「もう治ったんだ?
やっぱりインフルって
きつかった?」
「久しぶりー
結構仕事溜まってんぜ
手伝うよ」
などのようにその人が
復帰したことに対して
どれだけ多くの人が
声をかけてくれたり
復帰したことに気づいてくれるのか
という非常に簡単な部分に
まずは自信・プライドなどの
ベースがあると思っています
こういったすごく基本的なところが
満たされていない場合
自慢などという
ちょっと視点がずれたやり方を
採用してしまっている面が
あると考えています
すごく簡単なことなのですが
自分の存在を周りの人が
気にしてくれている
というのは人間のものすごく
ベースの自信やプライドに
つながっていると思っています
その上に他の要素での
自信やプライドというものが
重なっていくのじゃないかな
と思ってるわけです
ということが分かると
実は私たちは他の人に対して
自信を与えたりすることが
できるんだよっていう
ことが分かってくるわけです
それはどういったことか
といえば
ちゃんと一声かけたり
あなたの存在を気にかけてますよ
というリアクションを
周りの人に対して行える
というのはそれがそのまま
第三者にとっての自信やプライドの
ベースを作っていくことに
つながっているわけです
本当に些細なことなんですけど
こういった事がずっと出来ていると
自分にもそれが返って来る
そうやって物心ついたときから
生活してきていると
自分では自覚していないのですが
しっかりと自分に対しての
自信やプライドというものが
構築されやすい状態に
なっているということ
が分かってきます
逆にこういった本当に些細なことを
くだらねえ
と思ってやって来なかった場合
今自分自身が周りの人から
必要とされるようなコミュニケーションを
取ってもらえてない
周りのことを気にしないから
自分自身も周りの人から
気にしてもらえない
といった形になっていって
しまうわけです
その人の存在自体を
気に留めているから
その人をさらによく知っていこうと
思うわけです
そういった簡単なところが
できていないと
更に上の対応を望むなんてことは
できないわけです
基礎的なことができていないのに
高いレベルで敬意を
集めようなんて思ったり
尊敬を集めようなんて
無理な話なわけです