昔は必死にかっこいい生活をしたい
と思ってずっと自分のライフスタイルを
格好良くしようと考えていました
年齢を重ねることで色々わかってきて
スタイリッシュな生活をするためには
どういった意識をしなければいけないのか
というのを研究して、ある程度わかったんです
そうするとそのハードルの高さが(自分が求めていたもの)
は、ある種の完璧主義者じゃないと
この生活は続けられないなー
と思ったんです
結局私は全然、完璧主義者でもなく
そこまで自分をコントロールする力がなかったので
自分の中で折り合いがつくライフスタイルで
落ち着くことにしたんです
ただ投げやりになるのはやめよう
完全に努力をするのを捨てるのは
やめようとは、思ったんです
その人の生き方によって、思いっきりいろんな部分に
それが表現ってされてしまうものなんです
例えば典型的に分かりやすい部分
誰が見てもすぐにわかる努力ってまずは
外見なんです
外見ほど努力が他の人にわかりやすいぐらいに
伝わってしまうものってなくて
なのでかっこいいライフスタイルは
諦めたとしても外に向かって
この人はちゃんと努力しているよ
っていうことが、わかる程度には
自分を作らないといけないなと思ったんです
なぜならば一番最初に見てわかる努力すらしていないと
女性に判断された段階で
関わる価値がない男性だ
と思われてしまうからです
いや、他で努力している
と言ってもその努力は伝わりづらい
一番わかりやすい部分ですら伝えられない人は
他の努力もしていないだろうと判断されても
しょうがないし
結局伝わりづらいのであれば
それは伝わらないと思ってた方がいいわけです
(インターネットの場合は、それ以外にも
言葉で努力を伝えられるので
東大卒・慶応卒・医者・弁護士などなど
すぐにわかる努力の形を持っているならば
それをフルスイングで使うことが大切)
私が当初、求めていたかっこいいライフスタイル
というものは
外側に努力は見える
その要素の1つとして
洋服があるわけです
そしたらその洋服の管理もしっかりしないと
いけないわけです
例えば色やデザインに分けて広めの
ウォークインクローゼットなどに
洋服を管理をしていく
アクセサリー類も合うものをチョイス
できるように整理しなければならない
自分が外出する時には
しっかりと自分の全身が見える鏡で
チェックするってこれを当たり前のように
毎日やる
結果はその人の雰囲気がより洗練されたものに
なるわけです
私にはできないなと思ったんです
まだ時間に余裕があったり
自分の持ち時間が多い時は一生懸命やってたんですけど
持ち時間が少なくなったり
他にやりたいことが増えてきてしまうと
これができないな
と思ったんです
結果
朝の洋服を選ぶ労力をカットしたくなって
ルーティン化させちゃったんです
ここでひとつ
その人の日々の努力っていうのは
洋服にもでるって事なんです
スーツってことではなく
その人がどういった洋服を選べるか
っていうのは明らかに努力の一つになるわけです
なぜならば自分のキャラクターや
自分のスタイルや雰囲気などから見て
どれが一番自分の魅力を醸し出すか
っていうのを考えて考え続けている
って事だからです
なのでファッションセンスがいいとか言うのは
結局その今の自分に合わせて努力をしている
という分かりやすい表現の一つになるわけです
そのためにダサいという人は
そこに対しての意識が低くて
あまりそこに対しての思考をしていないし
考えていない
トライアンドエラーもしていない
ってことが見えちゃうわけです
少し厳しい現実なんですけど
その人の努力っていうのが一番わかりやすく
目に見えてしまうのが外側だからです
私が関わって、この人かっこいいな
この人みたいな雰囲気を出したいなー
と思ってその人たちを調べていくと
こういった生活を日頃からしてたんですね
だから醸し出す雰囲気であったり
選んでる洋服がめちゃくちゃかっこいいんです
私はそんな人達にはなれなかったんですけども
そういった明らかに同性から見て
この人の格好良さは顔云々じゃなく
何かレベルが違うなと思ったら
その人たちは例外なく
とんでもなく努力してるんです
で、それが同性の私が見えて
溢れ出ていたわけです
それがあこがれてしまうような
かっこよさだったんです
続きます