少し今日の話は抽象的な度合いが高いので
分かりづらい話かもしれません
私達が何かしら興味を引く活動を作って
それを女性に向けて提供をしていく場合に
意識しておいた方がいいのは
その活動の全体の完成度をより高くしよう
完璧に準備をしよう
完全に形が自分で実行できるようになってから
提供をしよう
と思えば思うほど
その活動の中であったり、あなた自身の魅力的な
部分というのが削られてしまう
可能性があるんです
そもそも、それを提供する段階までいかない
可能性も高くなります
例えば完璧に準備はしていないけれども
その場面の雰囲気に合ったものを
アドリブで提供したら
それがすごく楽しんでもらえた
っていう形にもなるんです
なので私は活動の時に今でもアドリブで何かが
出てくる時があって
それがすごく良い展開だったり
女性受けが良かったりして
新しい発見になることもあります
それぞれ何か活動をやるときには、その人の特徴などが
その活動の中に反映されるものなんです
例えば仕事でクリエイターをやっている
メンバーさんの方がいらっしゃるんですけど
そうすると仕事柄
提供をする雰囲気であったり
専門性のある活動をするのであれば
道具であったりにすごくこだわりたく
なるんだそうです
結果的にそれが特徴になります
活動全体の完成度をあげようと考えたり
これはこうでなければいけない
準備は完璧でなければいけない
など、より完成度を上げよう上げよう
完璧にしようと思えば思うほど
本来だったら自分の特徴であったり
その活動の中では不要だけれども
実行をするとそこが面白い部分っていうのが
あるんですけど
(例えば、本来正しく提供するのであれば
必要ないような事をアドリブで提供する事など
これは本来ならば必要ない事
それをカットすると場合によっては
その場面の面白さが無くなる事もある
みたいなイメージです)
全体の完成度を求めるとその分
そういった面白いところを削って全体的に
なだらかなものにしてしまうって考えてるんです
人と人が関わって面白いのは、その人がより完璧である
ことではなくて
その人の
「歪んでる部分」
ってやっぱり面白いんです
それがその人それぞれの個性だからです
歪んだところが相手側のデメリットに
なってしまったら問題なんですけど
楽しんでもらえる要素であれば、わざわざそこを
削らなくてもいいって考えてるんです
例えば私は、どこに出ても恥ずかしくない
男性になれ
そういった教育をされて生きてきて
それがあまりにもできなくて
きつくて拒絶したんですけど
全然TPOに合わせられない大人になりました
例えば一つの活動の形があったとしても
そこには私の強めな歪みは必ず出るんです
一般的なものに合わせられない
という強い歪みがどの活動をしても出ます
メイン活動のスクール・新世界の活動していても
それを実行してる人の個性や考え方が出ます
その歪みは消そうとしなくていいです
その歪みも含めて活動全体だって考えるように
したら、その活動やること自体が楽になりますし
自分のユニークな形になる可能性があるんです
ただそれが相手側の迷惑であったり
デメリットになる場合は無くした方がいいです
関わっていて、なんか変な人だけど
面白いなって思ってもらえたら
それが自分が提供している時間の価値になるんです