私たちが参考にしたい言葉というのは
まず自分が発信している分野に対して
同じように興味を持っていたり
考えたりしてる
自分の発信内容に興味を持ってくれている
好意的な興味をもってくれてる
その上でちゃんと考えて
言葉を一生懸命出そうとしている
自分の考えを言語化して
どうにかして伝えよう
それがこの人のためになる
という苦労が明らかに伝わってくるような内容
そういったものが自分にとって良い言葉となります
そういった相手からの言葉は受け入れた方がプラスに
なっていきます
そういった種類の言葉が頂ける時っていうのは
本当に少数です
否定するなんて簡単なんです
否定した上でそれ以上に良い案を出すのであれば
それには価値がありますけど
それが出来る人って、ほとんどいないんです
否定だけする人の性質は否定することで
自分は、より良いことが言えているように
思ったりするんですけど
否定することよりも、発信することの方が難しいんで
結局、
否定+より良い発信
ができない限り、そこには何の価値も持たないんです
なので否定だけをしている人っていうのは
それ以上のものは出せない
結局その人の言葉ってメリットはない
基本的に自分から発信をして
何か出来事を起こそうとする活動は
多くのエネルギーが必要となるものなので
自分にとって必要なのは、そのエネルギーを
加速させてくれるような言葉だけでいいんです
それ以外の物って大抵は邪魔になったり
足かせになってしまったりするだけなので
メリットにならない
それに発信をする人の世界観っていうのは
その人の個性なんです
みんな同じものを見ても出てくる感想って
人それぞれなんですなので
自分が発信しているものって基本的に
他の人から見ても自分と同じような感覚を
持っては理解できてないんです
例えば同じ海に沈んでいく太陽を見て
「キレイだな」
って言葉を発信するとします
でもある人は
海の色が綺麗だな
と思っていて言葉としては
「キレイだな」
って言葉を発信している
ある人は
太陽がゆっくり沈んでいく様が
綺麗だなと思っている
ある人は今ここに一緒にいれる
この時間が綺麗な時だなと思ったり
同じ場所に立って
同じ言葉を発してても
何が綺麗だと思ってるのかは、びっくりするぐらい
違うんです
この解釈の違いが
個性
なんです
人間は個性と個性との関わり合い
なので絶対に完全一致はしないんです
だから発信しているものに対して
同じ言葉・表現の理解をしていると
他者が思っていても
一致しているものじゃないんです
基本的には本当の意味で理解はしあえない
完全一致はありえない
それに関して否定する
なんていうのは、ここの関係性は遠すぎちゃって
理解なんて、この人とはしあえるわけがないんです
簡単に否定・批判・ディスってる
などをしているっていうのは、相手が発信している
内容や感性というものを理解をしている
その上でそれは違うと言っているつもり
なのかもしれないのですが
そんなことはあり得ないわけです
なので人が発信しているものを否定する
っていうのは基本的に、そこで通じ合えるものなんて
生まれないんです
人と人は仲良くなっていく過程で
一生懸命誠意を尽くして
お互いに理解しよう
理解してもらおう
と思って言葉を出していく中でやっと
理解し合えるものなんで
まとめると、一部の自分に興味を持ってくれている
人の言葉は大切に
その他の批判は基本スルーしてしまってOK
ほぼ100%そこに自分のメリットはない
って言い切ってよいです