インターネットが普及する事で
信頼される行動と
合理的な考え方。
これが全く一致しない
ケースというものが
多場面で出るようになって
きていると思っています。
これで何回もミスをした
事があります。
合理性を考えるとどうしても
人間の心が置き去りに
なってしまいがちなんです。
これを忘れないように
した方が良いわけです。
例えば仕事先で大きなトラブル
に部下が巻き込まれている。
という連絡を聞いた。
仕事場にいた方が全ての
手配がスムーズにできるので
その場から動かないで
パソコンと電話で全部を
解決させた方が合理的。
という判断をして、その場から
一切動かないですべてを
解決する事になった。
「こちらで全部処理したから。」
とだけで電話を切った。
確かにトラブル解決という
意味ではベストな選択が
できた可能性がある。
この場合。
情報や処理できる機材などが
集約している場所にとどまる
事がもっとも要領が良い。
が。
説得力・信頼力がある行動。
となると、すぐにその場にいって
一緒に相手先に謝る事で
あったり、部下のフォローを
直接する事だったりする事は
多々ある。
トラブルがもっともロスなく
片付ける事ができたとしても、
一切顔を出さなかったら
相手先は、要領という面は
見ないで、信頼できない奴。
という印象を持ちがち。
これが人のまったく論理的
にはならない心だったり
するんですね。
今後合理化がドンドン進んで
行きます。すると、合理的な
面ばかりに目が行く
ようになります。
例えば仕事なんて別に会社に
所属しなくても出来るじゃん。
通勤が全くの無駄。
人との相談会議が無駄。
確かにその通りという
面もあれば。
そうじゃない面も多々ある。
時には合理的じゃなく、自分の
ために行動をしてくれた。
これが最大に信頼される
ポイントになる事がある。
ただその場に来てくれた。
結果、別にトラブルの解決が
遅れようがそっちの方が
信頼される事が多々ある。
これから合理性はドンドン
進んでいきます。
が。
それでも無駄でも実際に
身体を動かした事が
人の心を動かす事が多々ある
これを忘れない方が良いなって
思っています。
お詫びに。
といって、とりあえず
コンビニで何か適当に
買っていく。
のと、デパートにいって
お詫びのしな。
コンビニ。
と
デパートの菓子折りを持って行く
のとでは、全然伝わるものが
違うみたいなもの。
例えば金額が同じだとしても
全然違うんです。
その差は金額じゃなくて、
何にしようかを考えて
時間をつかってデパートに行き
礼としての意味がこめられている
ものと、ただ通りすがりにあった
お店に寄るの。
やっぱり違うわけです。
合理性が進めがより、自分の
中の考えとして持っておきたいです。
・・・ほとんど自分に向けて
いっている感じ・・・
散々ミスってるので。