情報がいっぱい入ってくる時代だからこそ、
情報っていうのは選ぶようにした方がいいです。
情報って様々な形があるんです。
例えば、自分ではどうにもできない情報
というのもあります。
それをいくら情報として入れたとしても、
自分の無力感ばっかりが広がっていく
ものがあります。
例えば世界では、いつもどこかで戦争が
起こっています。
それをずーっと見ていると、私たちができること
って何もないので無気力感に駆られるように
なっていくんです。
私たちは見ているものに必ず影響を
受けるので影響を受けたその対象が
私たちに、何もできないものであればあるほど、
無気力感というものが増えていくんです。
お分かりいただけると思うのですが、
このようなものを見て、私たちが無気力感に
駆られても、何も私たちにはプラスに
なることがないんです。
私たちが現実を生きている限り、私たちが
意識を注ぎたいのは、私たちができる範疇
のものになるわけです。
そして、それを行うことによって、私たちが
少しでもいい方向に進むもの。
そこに多くの意識を注ぎたいわけです。
私たちっていうのは持ち時間が決まっています。
その持ち時間の中でいかに自分に
とってプラスになるもの。
自分と関わってくれる人たちのプラスに
なるものを、日々の時間を使って
積み上げていくのか、ということが大切になり、
それが私たちにできることの範囲なんです。
私たちができることって、ものすごく狭くて
限られているものなんです。
なので、あまりに、どうにもできないような、
大きな対象の話っていうのは
自分に入れてもしょうがないんです。
それをいくら見ても意味がない。
むしろネガティブな気持ちに引っ張られてて、
自分がやるべきことに時間を割くことじゃなくて、
できないことに心が引っ張られて、
ただただ無気力になっていき。
時間が無駄に流れてしまう
という方向に行ってしまう。
これってめちゃくちゃもったいないので、
そういった情報は入れない。
と考えてしまった方が分かりやすいです。
結局私たちができないものって
いくら知れたって、何にもどうにもならないんです。
だったら自分ができることに意識を集中する。
そのためには自分で選択していく
っていうのがいいわけです。
ただやたらめったら自分が受動態でいて
流れてくるものを入れていると
このような状態になりがちなんです。
なので、私たちは自分で入れるものは
自分で決める。
できないものについては、見ない。
と割り切った方が今の時代にはあっている
となるわけです。