同じことをしても、その 2人の間には全然違う
結果が生まれるのはなぜか?。
私たちは同じことを経験しても、その人から出てくる
答えって全然違うんです。
分かりやすく言えば。
何かしらの漫画を読んで面白かったとします。
その感想を聞かれた時に、
「あれ、面白かった。」
で終わる人。
と、
「あれはすごく面白くて、
っていうのもさー・・・・。」
と、自分の解釈を入れた話ができる人などに
分かれると思うんです。
このようなアウトプットの差は、その後に
非常に大きな差を生み続けて、結果として
全然違うキャラクターが出来上がってしまうんです。
なぜならば同じことをやったとしても、
その人が何をインプットしてるのか。
によって全然、積み上がっていくものが違うからです。
一番まずいのが今お話ししたように、
何かを自分が得たとしても、
「ああ面白かった。。。。」
で終わっちゃう人。
これはかなり厳しいです。
自分が時間を使って何かやったことで、
何かがに気づけたり、自分の中で少し何かが変わったり、
自分の言動に反映される。
そういったものが
全然なかったら、やってることが
無になってしまうんです。
一方やってることが自分の中での、気づきであったり、
自分の言動の積み上げになってる人って、
それがずーっと続いていくと、その人から出てくる
言葉や態度や雰囲気というものは、
かなり大きく変わっちゃうんです。
これは持って生まれた差というのもありますけど。
意識の差は確実にあります。
特に差を分けてしまう理由で、かなり大きな理由
としてあげられるのが、それをやっている時に
自分が得られるもの。
自分のメリットになるもの。
自分にとって必要なもの。
という感覚を前提に持っている場合って、
明らかに意識・吸収度合いが変わるんです。
これは自分にとってすごく関わりがあって、
これをうまく自分ができるようになると、
自分には大きなリターンや経験が備わる。
と思ってると、その対象に対しての取り組み方
ってびっくりするぐらい変わります。
当事者意識が大きく関わってくるんです。
当事者意識があるほうが吸収の効率が
飛躍的に良くなります 。
他人事だと思ってるとまるで吸収されません。
ただ誰かから提供されてる時間で、流されるように
やってると特に何も考えることなく。
ただ目の前で起こった現象に対して漠然とした
その時の感情・感覚をベースにした言葉だけがでる。
だから
「楽しかった」
「面白かった」
「つまんなかった」
みたいなキーワードで終わっちゃうような言語しか
出てこない事になります。
当事者意識というのは、かなり重要で。
何かしらの遊びで、これをうまくできるように
なりたいと思ったら。
その活動をしている中で、何を改善すればいいのか。
どこを手直しすると、もっと良くなるのか。
っていうのを考えることになります。
そうすることで、気づけることが一気に増えるんです。
それ以外にも他の人も一緒に楽しめるものってないかな。
と自分の意識の中にあると、自分がやってる活動に
関しての観察の仕方が変わるんです。
この遊びには、こういった面があるから、
これって多くの人が楽しめるんじゃないか。
これだと、あきちゃうから。
じゃあ、他に何か要素を加えた方がいいんじゃないか。
と、関わる人、提供する人、などの当事者の立場で考えられる。
このような違いが、同じ遊びをしたとしても
出てくる感想、その人に備わるものが全然違う。
1 つの物事に対する吸収率が、びっくりする
ぐらい違うんです。
より、楽しむにはどうしたらいいのか。
っていう見方ができるだけで、自分の中で
理解しようと思ったり、もう少し他の要素が
見つかんないかな。
という目線が入るので変わってくるわけです。
こういった活動ずーっとやってきたから、
私がいろんな角度での遊びの提供のお話が
できるんです。
こういった遊びを提供して楽しんでもらおう。
そう考えて実行するので、遊びというものに対しての
とらえ方も全然変わってくるんです。