人は人を見る時に一定以上で、その人の
人間性っていうのが分かるんです。
別室にいる人たちを観察するとします。
そして、別室にいる人たちは、
その中でいろいろ会話とかをして
時間を過ごしてもらいます。
ただし、その別室の会話は観察している側
の人からすると、会話自体は聞こえない。
見えるのは姿だけです。
その上で別室で会話している人達の
性質というのを見て判断してもらう。
利他的・利己的であるなどの
判断をしてもらうと、
高い精度で当てることが
できるんですね。
ここからわかる事っていうのは、
人間はその人の動き・表情・仕草
を見ているだけ、会話の内容を聞かなくても。
ある程度以上高い精度で、その人の
人間性を知ることは、できちゃう
ってことなんです。
これっていうのは至って自然の結果で。
なぜならば私たち、っていうのは今まで、
ずーっとこの人は自分の味方であるか。
敵であるか。
っていうことを考えながら、
生き抜いてきたわけです。
それが全然わかんない人っていうのは、
それまでの間に淘汰されちゃった。
なので、ある程度以上、私たち
っていうのはその人の性質っていうのを
見抜けるようになっている。
その能力が低い人は騙されやすくなります。
これは見る側の立場です。
それを見抜かれる側の人は、何で見抜かれて
しまうのかっていうと。
これまた自然のことで、その人が日頃から
ずっと発信していることは、
その人の習慣になっちゃってるんで、
完全に隠すことは難しいってことなんです。
なので、性格が悪くて、言動の中に
性格の悪さが出る人っていうのは、
表情であったり、態度であったり、
ちょっとした仕草に、ほぼほぼ出るんです。
数分であれば隠すことができるんですけど、
その時間が長くなればなるほども、
それを完全に隠すっていうのは無理です。
どこかしらに出てきます。
なので、現実として、考え方として自分の性質が悪くて。
考え、言動も質が悪いけれども、
いざってときは上手く適当にいい人ぶれば、
バレないだろうって思って活動してる人って。
大きな間違いで。
それ分かっちゃうんです。
特に人間をある程度以上見れるようになった
大人から見たら、そんなのは丸わかりなんです。
そうするとまた別のことが分かってくるんです。
続きます。