自分がどういった考えを大切にするかというのは、
自分の行動に一貫性を持たせる意味でも大切です。
例えば自分の考えを正しいものだとして、
それを他人に強要させる意味のなさ。
これは無意味であり、無理だという現実。
だから現実的ではないので、この考えは持たない。
この考えを採用していると他の人が
やっていることに対して、
そこに情熱を向けて否定すると言った
無駄な活動することがなくなります。
情熱を持って否定することの意味のなさが
分かってくるからです。
この考えを採用していないとします。
(自分の考えを正しいものだとして、
それを他人に強要させる意味のなさ。)
そうすると例えば、今クラウドファンディングとかが
流行しているのですが。
あれを見て人様にお金を頂いて
自分がやりたいことをやるのは
何事か。
という考えが出てくるわけですね。
私の考え方からすると、これを熱心に否定することも
意味がないと思うわけです。
なぜならば脅迫されて出しているわけではなく、
本人が見て価値があると思うから
クラウドファンディングの案件にお金を出している。
こうやってみることもできるわけです。
なぜならば皆それぞれ考えがあるからです。
興味を持つ部分も違う、やりたいと思う行動も違う。
ですから
けしからん。
というように考えて否定をする
意味がないと考えられるわけです。
新しいサービスや価値観というものは
そうやって生まれてくるのですが。
自分の価値観を押し付けてしまう、とそういったもの、
新しいサービス実態への否定にも
繋がるなと感じるわけです。
ここでこういった考えを持っていない人は
けしからんと言いながら、自分のブログでは、
本人がこの場所を使っても女性は存在していないような
場所を紹介している。(いわゆる〇〇アプリというものです。)
こんなどうしょうもない場所を紹介する、その理由は
引っかかる方が悪い。
こういった内容に興味を持つほうが悪い。
となっていく。
言っていることに一貫性がないわけです。
自分の考えが正しいものだとして考えると、
自分のその行動は自分なりに理由が成立している。
そしてそれは正義だから、その行動は正しい。
となっていく。
ただ他の人から見ると違和感は感じる。
ここでもし自分の考えは絶対じゃないと
考えていれば、他人のやってることを
まず否定するという行動は取らなくなる。
そうすると少なからず自分がやっている行動というのは、
(このケースは・・・)多少の違和感はありますが、
そこまでの違和感は出ないわけです。
皆、それぞれ自分の考えを元にして行動をしている
ので、別に本人がやっている事にも違和感が無い。
やりたいからやっている。として理由が成立する。
自分の考えが正しいと思っていると、
それ以外の考えに過剰に反応しすぎてしまう。
もっと極端に解釈すれば、自分がやることは OK で、
他人がやることで自分の価値観に合わないものは NG。
こういった考えを持ってる人だよ。
と自分のことを表現してしまうことになるのです。
これは周りにいると分かってしまうので
ネガティブ要素になります。
考え方というのは、こういった点でも大切です。
このように話すと女性関係であったり、
人間関係に関係ないことのような話に感じますが。
結局こういった言動の不一致であったり、
言っていることとやっていることの
違和感というものが出やすくなってしまうわけです。
周りにいる人はそれを感じ取りますので、
この人はやばい人だなぁと思われてしまうわけです。
そうするとそれに気づけない人が周りに残り、
気づける人は周りからいなくなってしまう。
どちらが一緒にいる相手として頼もしいかとなると、
私は後者の方が頼もしいと感じます。
人間として感じる違和感の感度が高い人の方が、
頼りになりやすいと考えているからです。
考え方ひとつをとってみてもこのような感じで
その人から表現されるものというのは変わっていくわけです。