バランス。
だから、間違っているからといって、
相手に対して、攻撃的なまでに、正しさを
求めると、回りから、人はいなくなります。
嫌われます。
間違った事に緩すぎると、相手は、それで
良いと判断してしまって、甘えてくる、
もしくは、軽く扱われるような形に
なってしまうかもしれない。
そうすると、バランスというのは、
どこで取るのか。
“実際に、その場面に、関わって、
感じてみるしかない。”
感じてみて、その時に、どう感じたのか。
を通して、バランスを調整していく
事になります。
色々と、このようにお話をしている、
自分が言うのも変なのですが。
言葉・テキストとして、伝える事での
限界は、ここにあるなって思うんです。
テキストとしては、こういった対応を
してみたら、相手側は、どういった感じで、
対応をしてきたのか。
それを感じる事ができない。
ここは、テキストとしては、
育てる事ができないし、伝える事が出来ない部分。
感じる事ができるという、自分の感覚を
育てないといけなく、
その自分の感覚を育てるためには、
実際に、そういった場面へ、自分を関わらせ
続けなければならない。
要は、人と関わりつづけなければいけない。
そうしないと、その感度は上がらないし。
感度を上げられたとしても、また、
関わりを減らしてしまえば、その感度は、
悪くなっていく。
あれだけ、一緒にいて、コミュニケーション
を取るのが、当たり前の友人だとしても、
関わりが減れば、友人の言動への、
感動は低くなる。
例えば、何かを学ぶ時とかって、師匠
とかのお付きになるじゃないですか。
あれって、一見すると、めちゃくちゃ
無意味に感じるんですけど。
師匠に対しての感度を上げる意味では、
あれが、最高の形なんだと思います。
近くで、関わり続ける事ほど、その相手に
対しての感度を高められる事はないと
思っています。
もう少し、大きな枠で言えば。
女性に対しての感度を上げるのであれば、
やっぱり、女性との関わりを常に
取りつづける事が、一番、女性への
感度を高められる方法になるんだと
思うんです。
女性を口説く事が得意な人は、例外なく、
女性に対してのコミュニケーション量が
多いです。
そういった面から考えても、これは、
そうなんだろうなって思います。