彼女が全部をやっているということに気付けないんです。
意図的に彼女に丸投げをしているのではなくて。
生活に関わる事などで、他人がやっている事が目に入らない。
目には入っているけれども理解ができてない。
ってことになるんです。
こうなってくると、もはやそれは自分に
その能力が欠落している。
ってことになるので。
自分がその能力が欠落しているということを知れば。
観察しないでこの場合にはこれをやる。
この場合にはこれをやる。
とインプットしていく作業をした方がいいです。
見て推測するができないのであれば。
場面場面で必要なことを覚えてくしかないからです。
これって今後、色々な場面で問題になっていくと思うんです。
この能力が普通である人からしてみると、
この人自体がやる気がないように見えてしまったり。
コミュニケーションを取るつもりがない。
自分だけ良ければいいと思っている。
と考えて、それを正そうとしちゃうんです。
でも正そうとしても本人は意図的にやっていなく。
見えないんです。
なので何が自分が問題なのかがわからなくて、
注意されるとそれは嫌がらせされているであったり。
パワハラだって判断をしちゃうんです。
こういったタイプの人を見た時に、
怒るということに対して意味がなくなってしまう。
こういった人が自分のそばにいると、
付き合い方が難しいってなります。
まずは本人が、この点を自覚してもらうことから
始めるのがいいんです。
第三者側からすれば、こういった能力が欠落している人もいる。
という前提で人と付き合って行った方がいいです。
そうすると、このタイプの人を見ていて。
この点の能力が欠落している人だな。
と思ったら、話し方や対応というものを変えることができます。
能力はないんであれば、何が分からないのか。
どうしたらいいか。
何をしてほしいのか。
と話しかける、コミュニケーションの形を変えることができる。
ので頭ごなしに怒らないで済みます。
そこで初めて成立させることができる、
コミュニケーションを選択できる。
ので、やっぱり知っていくっていうのは、
いろんな意味で大切だったりするわけです。
では、なぜこのような傾向がある人が増えるのか。
その点の話を。
続きます。