どうあがいたってうまくやっていける人と
うまくやっていけない人がいるんです
それを世の中では格差なんて言うんです
今まで日本はこの格差というものでも
経済的なものであったり
男女関係でもある程度は平均的な落とし所が
あったんですが
どんどんどんどん差が開いてきちゃって
みんながちょうど納得行く落としどころ
何んて言うのが、もう存在しなくなっちゃったんです
ということはこれが正解だよ
っていうものはもうなくなっちゃって
平均的な正解っていうのを求めても
全然みんなもバラバラになっちゃったから
平均的な正解を求めていると
なかなか苦しくなるんです
それに平均的な正解っていうのは
結構うまくやっている人たちの
正解の可能性の方が高くて
平均的以上に上手くやっている人以外
として考えると、それこそ2/3の人とかが
不満をある状態で生活していく
みたいなことになっちゃう可能性がある
ということはこれからの時代というのは
みんなそれぞれの立場で自分なりの生活・遊びを
楽しんでいくしかないんです
平均的な正解・そういうのに目を
向けてもしゃーない
これが正解だよっというのを
受け付けないで良いわけです
みんなそれぞれ自分達の正解を見つけて
自分達なりの楽しいポイントを見つけて
やってた方が楽しいわけです
つまり多くの人が見えている、という考え方ではなくて
別々に見えている現実を別々に楽しんで行く
みたいな感じにしてた方がいいんです
80年代のような皆の楽しみの正解があるよ
という形ではなくて自分たちの正解を
作っていくみたいな形が今後は良いです
ここで決して忘れてはいけないことがあって
考えて組み立てていくってことです
特に男性はちゃんと考えて組み立てていかないと
ただ場面に流されるように生きていると
本当、訳の分からない立ち位置をとって
しまったりするので注意が必要です
例えばこないだ仲間内で大勢で海に行った時に
知らない人とかもいたんです
大体変なことをやってるのは男性で
みんなでビーチバレーとかやってる時に
ひたすらやってる彼女の後ろで落とし穴
作ってるんです
(大体育こいた男性って他の人と交わらずに
ずっと椅子に座ってスマホを一日中いじってる)
・・・意味は他の人には分かりません
その男性の世界では楽しいんです
でもそれを周りから見ていると
すごい邪魔なんです
これって今回だけじゃなくて大勢の人数が集まる時に
必ず男性の中には、こういった意味のわからない
行動を取り続ける人っているんです
自分の楽しみを見つけていくって
こういった意味じゃないです
この時にやっといた方が良かった事
っていうのは、じゃあその場でいる人を
楽しくさせるには自分は何をしたらいいのか
それを考えるのがその場面では
正解に近かったわけです
これが考えていくってことです
その場面で対応していくことを考える
結果的に考えないから
ふっと見たら落とし穴を掘ってここに彼女が
落ちたら面白いんじゃねえかな
っていう訳の分かんない考えになっちゃうわけです
それは自分だけの考えなんです
彼女が落ちたら面白い
というその目線だけです
他の可能性であったり
周りの人が楽しくなるか
というところは考えてない
もしも落とし穴で回りの人を笑わせたいならば
その行為をやると周りの人が面白くなるような
自分の立ち位置を作ってからやらないと
いけないんです
大勢の人がいる時には、その行為単体に
意味を持たせるんじゃなくて
その前降りで、その人のキャラクターがあって
その上に行為が乗っかって面白さに繋がるんです
こういったことを考えないでいると
ただその行為自体に面白さを求めてしまって
すげえスベるんです
さらに連動して落とし穴を掘って
それが面白いと思っている男性と話したって
面白くないと事前に分かってしまう
だってそれを面白いって思っちゃう人の
発想なんですから
その人から出てくる会話は
たかが知れちゃうんです・・・
考えないって中々、厳しい結果しか出ないんです
こんな視点から話してたらキリないです