昔から人間に興味があって
何でこの人はこういう発言をするんだろう
なんでこの人はこんなに
人から好かれるのだろう
この人は何で嫌われるんだろう
こんなことにずっと興味があったんです
自分が好きだなと思った人と
良い関係を築きたいなというのも
ずっと思っていて
でもやっぱり、ぶつかってしまうことが
あるんです
最初は一生懸命相手に変化を
してもらおうと思って働き
かけるんですけれども
それでうまくいった事ってないんですね
そうすると次は変えられるのは
自分の方だけだなっていう
順序になっていき
そしてもう少し進んでいくと
また違った考えを持つようになります
それはその人が大人であれば
もうそれがその人自身だ
という見方をするようにしたんです
つまりその人をよく理解をして
こういった人だとわかったら
それが完成形でその後その人が
良い方向に変わるであったり
悪い方向に変わるという風には
判断をしないようにしたんです
そうすると人の見方が変わって
過度に期待するのではなく
この人と長期的な関係は
許容できるだろうか
許容できないだろうか
そういった判断の仕方が増えていたんです
許容できるならば長期的な関係を
持ちやすいです
あまり許容できないと感じた場合は
長期的な関係を持つのはほぼ無理です
今まで許容できないなと思った人で
長期的な関係を良好に続けられたことは
当然ながらないです
許容できるできないのレベルではない
これは無理だな
という人に対しては一切関わらないのが
最善だってことも分かってきたんです
自分にとって許容が一切出来ない人は
一緒にいればいるほど
とんでもなくストレスがかかります
そして自分がその人に対して許容できることも
ずっとないです
残念ながら世の中、人間は平等には
作られていなく
質のいい人は素晴らしく人間ができていて
質の悪い人はとことん質が悪い
感度が低い事はどうにもできない
感度が引くいから何を言ってはいけない
何をしてはいけないが分からない
これはもう変わらない
感度が低い人の感度は一生同じ
そうすると私たちができることは
早めに判断をして質が悪い人とは
付き合わない
ただただ逃げる
いかにして接点を作らないか
いかにしてその場から逃げられるか
を考える
無理矢理にでもいいから用事を作る
タイマーをかけて電話が鳴ってる
ふりしてその場からいなくなる
共有の場面を作らない
こうやると自然と自分の周りに
は許容できて付き合いやすい人が
増えていき
許容できない人は当然ながら
関係が遠ざかっていく
誰とでもうまく付き合いなさい
という幼い頃に教えられた言葉は
事実じゃないんだなってのが
大人になってわかりました