実態とはどのようなものなのか。
内向性が強いと、自分自身は人間が
嫌いなんじゃないか。
と思ってしまう人も多いと思います。
私も内向性が少々強めです。
そのために、小学校の頃から周りの荒い男子の
行動が理解できなく、苦痛で嫌な時期が
長かったです。
※片田舎だったので、地元密着のタイプは
荒い男子が多かったんです。
なぜこんなことをするのかが理解できなく、
嫌悪感を強く持っていた時もありました。
じゃあ、なんでこのような状態になるのか、
っていうと、
シンプルに内向性の高い人っていうのは、
小さい頃からその傾向っていうのは顕著に出てて、
その延長線上で内向性が高くなってる
って考えられるんです。
では、小さい頃(赤ちゃんの時)、どのような反応が
出ていたのかって言うと、周りの物事・刺激に対して
より強く反応する人っていうのは、
内向性が高い人に多いんです。
では、何で小さい時に、そのような反応をするのか。
と言うと、周りのことに対して反応してしまう、
気づいてしまうからです。
刺激に対して反応してしまう
という性質が高いからなんです。
視覚、聴覚、臭覚へなどの刺激があった場合は、
それに反応してしまう、分かってしまう
ってことなんです。
それは成長するに従って、周りを見ていて
色んな違和感であったり、嫌だなと思うことにも
気づけてしまうことにつながるわけです。
例えば周りを見ていても。
なんで、この人は相手が嫌がってるのに、
これをやり続けるんだろう。。。
ということを違和感に思って、それの様子が
ずっと続けられることを見て嫌悪感を
感じてしまったり、
自分自身が疲れてしまったりする。
こんなことを周りを見ていながら考えていたら、
疲れて当たり前なんです。
特に大人になって外に出ている場合は、
より人間が多いところで働くならば。
いちいち 1 つ 1 つに細かく反応していたら
疲れるんです。
そうするとなるだけ、刺激の少ない環境に
自分の身を置きたいなと思うので、
仕事をしている間はしょうがないから。
じゃあ自分だけの時間は、なるだけ人と
関わらないようにと考える。
それを外側から見たら、内向的に見えるわけです。
逆に外向的に見える人っていうのは、例えば
多くの人と関わっていても、その受ける言葉から
色々なことを感じ取らなくて済むので、
多くの人と関わっていても疲れない
ってことになるわけです。
でも、その代わり自分が発信している言葉を、
そこまで考えないので、
そこまで発信内容にも気を配らなくていい。
ので、それは内向的な人から見ると
傷つく言葉遣いだな、と感じられたりしてしまう。
でも、外向性が高い人は、そこには気づかない。
その状態でいれるので楽なんです。
これが行き過ぎてしまうと、言葉を選べないデリカシー
のない人になって、自分自身は多くの人から
好かれてると思ってるけれども。
実際にはデリカシーがなくて嫌われている。
という悪い方向にもつながりがちになる。
このような仕組みが内向的な人の 1 つの
形だったりします。
自分自身が内向的って思ってる人は、いろんな
ところで、これ該当するな。
と思うことがあったと思います。