発言にはその人の考え方が
大きく反映されるので、発言を聞いて
いるだけでもその人の事が良く分かる
のですが。
どうも・・・
この人って悪い人ではないんだろう
けども、発言を聞いていると
好きになれないなー。
って時があったりします。
「なんか、嫌。」
っていう場合なんですが。
その中の一つのケースとして、
話をしている人がいつでも
“自分を主語にして発言をしている。”
これって、俺の場合はすぐには
なんで嫌な感じを受けるのかは
分からないのですが、
感覚としては嫌だなってのは
分かるんです。
で。
なんでであろうか。
って考えながら発言を聞いていると、
全部自分が主語で回っているので、
考え方が他人を主語にして
は展開していないって事が分かったり
する事があるんです。
自分を主語にしてのみ考えて。
他人は他人で自分が主語になるんだよ。
って事を全くもって一瞬たりとも
考えないし、疑わないって感じの
人って、すごくなんか、
話をしていても苦しい。
この形で話をしてしまうと。
物事への見方が一方方向になる。
「あいつのあの態度。
あれは最悪だ。
関わりを切るわ。」
っていう発言があるとして。
自分を主語オンリーとして考えて
いくならば、これが100%正しくなって
その考えに対して考える余地は
無いってなるんですけど。
相手側を主語にしてみると、
話って全然変わるんですね。
その日は、朝から悪い事が立て続いて
いた日だった。
朝から、同居している
両親がケンカをしていて
離婚するだなんだと言っている。
会社に来る途中には、仕事帰りの
泥酔しているホストに絡まれて。
会社に来たら、アホな上司にミスの
責任を全部擦り付けられて、
土下座させられて。
さらにどう考えても定時では片付かない
仕事を押し付けられて。
後輩のしりぬぐい。
彼女からメールで、今日大切な話が
あるから、時間を作ってください。
という緊急事態丸出しの内容の
メールが来ていて。
そこに
「〇〇と〇〇の用意をしといて。」
と、自分でもできるような雑用を
その男性から頼まれて。
「それぐらい自分でやってくれ。
俺はそんなに暇じゃない。
それどころじゃない。」
とつい口に出た。
彼側が主語になると話は全然違う。
見方を変えれば、
全員が全員、自分が主語で生きてて
相手も自分が主語で生きてる。
って事を考えられるようになると、
実は日頃から接している相手の場合、
変化を感じる事が出来るようになる。
続きます。