ここ最近は全くと言っていいほど関わりが
なかった人たちと関わりを持って
何かしらの集まりなどを開催する
という場面があったのですが
ここでいろんなことが、やはり見えます
基本的にこういった集まりがあった時に
多くの人がその場面というものには
これまで立ち会ったことがないというのが
多数派になった場合
そうするとその人が、これまでどういったことを
やってきたのか?
というのが、すごくよく見えるようになります
まず代表的な例が、多数派の人が
分からない場面に立ち会う
と
何もしない
これを選択するようになります
なぜならば何もしなければミスをすることもないし
考える必要もないし
ただそこにいて時間が過ぎれば終わるからです
そしてそこから見えてくることは
普段から人との集まりや接点がない人と接点を
作っていくことであったり
新しい人間関係をちょっと広げてみる
と言ったことをしていないということが
分かってくるわけです
なぜならば新しい人間関係を作ったり
新しく接点ができた人と
仲良くなっていくためには
自分からいろんなことを負担していかない限り
仲良くしていく関係が深まっていく
というのは難しいんです
(これは女性獲得活動でも同じです
基本相手のメリットを考慮に入れないと
スムーズに接点はつくられない)
そのためには自分で考えるなどの労力を
負担をして、その場面をどうにかしよう
としない限り、まずその場面が回っていく
ということがないです
そして人が多くなればなるほど
その場面というのは混とんとしてきて難しくなる
そしたらお互いに場面は難しくなるから
お互いにできることは何か?
今この人はこういったことをしているから
じゃあ自分がまた別の面からフォローをしよう
などというように、皆それぞれ頭で考え
その場面をより良いものにしようとしないと
場面は動きません
これは日々その人が何を考え
何をしているかというのが思いっきり影響されます
特にこれは大人になると注意が必要なのですが
大人になると楽な行動を取りがちになります
もちろん仕事で自分自身が疲労してしまっている
ということもあるかもしれませんが
同じルーティンの中で、すべてをなるだけ回して行こう
とすると、新しいことを起こしたり
自分で考え自分で負担の持ち出しをして
何か新しいことを始めようであったり
せっかく関わっている人たちがいるならば
楽しい場面を作っていこうということを考えない
と、その点について何かを考えひねり出してい
くということは、できなくなっていきます
そしてこういった場面(分からない場面・これまでに
立ちあった事がない場面)に立ち会った時に
ものすごくその人自身がよく見えるんです
なぜならば、
さあ、どうしたらいいか?
が、わからないという状態の時に考える
どうにかしようとする
ということを放棄するという人は
残念ながら一緒にいる人
例えばすごく仲良くする人であったり
自分の身近なパートナーにする人であったり
そういった人には向いてないんです
なぜかといえば自分のルーティンで
対応できること以外には対応できない
対応しようと考えないからです
つまりトラブルが起こった時には何もしない人だ
ということがわかります
思考停止したんですね
考えるのめんどくさくて
なのでこういった場面に立ち会ったら
すごくその人が見えるということ
と
もしも自分がその立場にいる場合は
ものすごく自分自身の人間というものが
出てしまう場面だということを理解して
動いていくことが必要になります
もう少しこの話続けます