言葉に鈍感になる
このデメリットははかりしれない
ものがあると思っています
例えば、親しい人が一生懸命に
遊びの企画を立てて皆に連絡して
で、
「こんな感じで今回の遊びをまとめようと
思うんだけどどう?」
といったように聞いてきたとします
言葉に鈍感で、言葉は返事をすればよい
と思っているとこういった返事をする事に
なったりするわけです
「いいんじゃね」
さて
これのどこがまずいのでしょうか
まず私が一番最初に考えるのは
その人がこなしたバックヤードの量への
配慮というものが無いって事です
これを言っている本人はそういった考えは
ないのだとしても、言葉をこのように
使うと相手側はそうやって受け取る可能性が
だいぶ高くなるわけです
そして次
提案している側は、本当にこれで大丈夫かな
と不安になるという事です
自分が考えて出したアイディアは誰だって
あまり自信がないものです
なのでそれに対してのフィードバックを
もらえる事は助かるんです
特に何かしらの意見をもらいたい場合に
何もフィードバックしてこない事は
ものすごく不安になります
何が良くて
何が悪いか
何も見えてこない
相手が何かをする・提案をする
そのバックヤードには必ずその人のコストが
かかっている事をわすれちゃいけなくて
それに対しての受け取る側の言葉・態度ってのも
大切だなって思っているんです
毎回、全部正解に近い答えを出せ
なんてそんな無理な事はいいません
が、
少しだけ一瞬でも、相手側のバックヤードに
ついて思いを巡らす必要がある
そして言葉を出す前に一瞬考える
本当にそれは一瞬で良い
これ・・・出して大丈夫
この一瞬のためができるだけでも
だいぶ助かる場面がある
相手に失礼にならない場面があります
小さい事をお話しているようですが
これって蓄積がものすごく大きなものに
なるんですね
小さい鈍感な言葉を積み重ねられると
大好きだった人も、次第に嫌いになって
いく十分な理由になるんです
怖いんですよ
言葉を鈍感に使い続けるって
悪気があるわけじゃない
とこちらが思っても
それを受け取る側が、鈍い痛みを感じ続ける
ようであれば、それはもう十分に嫌われて
しまう理由になるんです
でも、使っている側は気づけないことが多い
なぜならば、これまで言葉を使うときの
「言葉の種類」
を考えてこなかったら
一瞬で良いです
言葉を返す時に、その言葉について
考えられるようになると
今よりも少しだけ使える言葉の質が上がります
女性はできる人が多いです
男性はできない人が多いです
私も頻繁に失敗しています
もう少し、今よりも少しだけ
良い言葉を使えるようになりたい
を少しづつ積み重ねたい