辺境の村で生活をしている人達は、
私達が持っているような概念の感覚を
持っていないのです。
例えば、
のこぎり・ドリル・カンナ・木材
さて、この中でグループからはずれるものは。
といったような概念に関しては、答えとしては
「グループにならない。」
といった答えになるのです。
道具と素材
に分けるといった概念はない。
でも、これが辺境の村とそこまで文化的に
変わらない村に住んでいる人でも
その村に現代世界の文化が少しでもある場合は
上記のような概念を理解する事ができるように
なるんです。
近代文化に触れれば触れるほど、抽象的な
考え方が出来るようになっていき。
考えや判断の仕方が安定してきます。
と前置きをして。
近代文化に触れられる人ほど、能力が高くなる。
って事が上記の研究を進めていった結果として
出てきたんです。
つまり、私達もこれは同じ部分があるんです
今の近代科学・近代技術に興味を持って
利用している人。
と
そういった機械は苦手だから。
そういった人の間には、時間をかけて
知性の差がうまれてきてしまうのです。
実際の場面でこれは何回も見て、体感としても
納得されていると思うのです。
私の知人の中でも、新しい技術は複雑だから
受け入れるのが面倒だと言っている場合。
そこから15年たって、久しぶりにあったら
現代の進みからはかなり遅れてしまっている
生活スタイルで、効率的なものとはかなり
かけ離れてしまった考え方などを
持っている確率が、この手のタイプには
非常に多いんです。
ここは明確に理由を理解しておいた方が良いです。
時間が進む毎に必ず新しい技術であったりが
出てきます。
それに対応をしようとする事で、新しい事を
知っていく事になり、今よりも複雑に感じるような
事も順応をしていく事になるわけです。
はい。
まずは、ここです。
「順応をしていく事。」
時代に自分を最適化していくという面倒な作業を
負荷をかけながらやっていくわけです。
それを面倒で新しい事なので自分にも苦痛がある。
いつもと同じ事の繰り返しの方が楽だから。
でもそれだと最適化は行えないから
自分に負荷をかけながらでも自分を前にすすめる。
この繰り返し、最適化の繰り返しによって
「自分の思考は柔軟さを保ちつつ。」
↑
ここの大切なポイントです。
新しい事を受け入れる土壌が作られるわけです。
これを受けいれないで、面倒だと排除すると
そこから硬化が始まり、頑なな人間で知性が緩やかに
低い状態になってしまう。
近代化の近くに自分の身をおいておく。
って意識を持っていくのが大切って事が分かって
もらえると思うんです。
そのために必要な事は、そういった場所の近くに
自分をおく、つまりそういった情報に触れる。
ここが大切になるわけです。
昔はそれが東京でしか出来なかったのですが、
ネット普及によってその距離の差を
埋められるようになった。
あとは自分の意識と興味次第になってきたわけです。