自分が嫌な事は全部、イジメだ。
○○ハラスメントだ。
っていうのは、本来は複雑な
コミュニケーションを
すごく単純にしてしまおうって
いう手抜きの行為なんじゃ
ないかな。
それが前回までの話。
コミュニケーションは色々と
相手の事を見ないといけない。
その上で、適切な言動を
選択していく事の繰り返しで
やっとある程度、円満で楽しい
関係をキープできる。
相手をみて嫌な事を言う人
だなと思ったら相手に分かるように
嫌だ。
という表情を表してみたり。
あえてその場で沈黙の空間を
つくって目で合図をしたり。
そういった言葉にしない表情や
間なんかでもこちらの思っている
事を伝えようとする。
そういった面倒な事をお互いに
しないといけない。
でもそれを面倒だなー。
とりあえず俺が嫌なものは嫌
なんだよ。
相手が何を考えているかとか。
そういった事を考えるんじゃ
なくて。
嫌だと思ったら、それは嫌。
イジメだし。
○○ハラスメントだ。
そうすると起った出来事の
読み取り方は非常にネガティブ
になる傾向を強める。
相手の表情や行動を見る事なく。
自分が嫌だと感じたものは、
全部自分への攻撃だ。
そうやって決めたら。
確かに楽ですけど。
自分に不都合な事は全部攻撃。
って判断してしまうと。
世の中は自分への攻撃で満ち溢れ
ているようになってしまう。
言動なんて受け取り方は
どうとでもなってしまうものだから。
たまたま仲間内で連絡を取り
あって飲み会をする事になった。
でも、メンバーがお互いがお互いに
連絡をしたと思っていて
連絡をしなかったために。
自分だけ連絡がこなかった。
これだって仲間達の話などを聞いたり
その後に普通にコミュニケーション
を取っていれば、単なる連絡ミス
だと分かるけど。
自分に不都合な事は全部攻撃。
って読み取り方をすれば。
これは完全なる仲間はずれに
している合図でしかない。
こういった読み取り方も十分に
できるわけです。
皆は俺をこのコミュニティー
から追い出したいと思っているんだ。
という最悪の読み取り方が出来る。
でもコミュニケーションをその後
も取りつづける事で、段々と
その事実は分かるように
なっていたりする。
そこを面倒だと感じるように
なっている、そしてそのやり方を
採用している人の割合が
増えてきている。
ように感じます。
コミュニケーションが苦手な人は
その傾向が強くなっていく。
楽をしたいからとパターン化させて
考えない。
誤解が生まれるのは、コミュニケーション
不足からであり、コミュニケーション過多
からは生まれない。
自分で自己完結させようとしない。
こういった事を意識していかないと
良い方向に持って行くのは
苦労するかもしれない。