人よりも優れていたという万能感を
生まれてこの方、1回も感じた事がありません。
すべては後からゆっくりと分かってきました。
全部が後から後からでした。
終わってから、その時期が過ぎてから、
大人になってから。
子供の頃に、関わる大人の質によって、その人ぞれぞれの
コミュニケーション力に大いに左右されるん
だなって事も、大きくなってから分かりました。
好意的な視線・期待を周りから多くもらえば
もらえる程、良い方向に行きやすくなる事も
後から
分かりました。
ほとんどの事は事後的に分かってきました。
が。
それを最初から感覚的に理解をしてやれている
人もいるわけです。
環境的にも恵まれている人もいる。
そういった人は多くの人に囲まれて、多くの人に
救い上げられてもらって、素晴らしい方向に
進んでいったりしています。
さて。
ここで問題なのは、それが最初から私には
備わっていなかった。
って所にはないと思っています。
いつでも考える事って、
『今から、そういった人達に少しでも
追いつくには何をしたら良いのだろうか。』
追いつくには・・・
を考えるしかないんです。
女性にすごく良い対応をされる事しかない
そんな友人を見ては、今はどう考えても
絶対に女性にこの友人と同レベルでの対応を、
してもらうのは無理だけど。
追いつくには何をしたら良いのだろうか。
って考えていました。
私のその時の方向性は簡単で。
その友人と私との圧倒的な待遇の差は、
持って生まれた「顔」にありました。
ので、私は彼にある顔。
以外のそれ以外についての対策を考えれば
良いという考えを採用しました。
すると、自然に任せる事は選択肢に
なくなるんです。
自然に任せるというのは、何もしないって事
ですから、自分に出来る事を考える事が
生産的だと考えます。
そうすると意識は必然的に自分は何ができる
のだろうかって事になります。
すると、何もしないという選択が無くなります。
何かをしないと、絶対に追いつけないのですから。
1つの要素よりも、複合的な要素を取り入れて
掛け算式に考えて方が良い事が分かります。
そうすると、自分への課題が複数できます。
何が出来るかを考えて。
何だと需要があるかを考えて。
何だと喜んでもらえるかを考えて。
自分という存在があり、それを周りの人は
見てどういった接し方をするのかを
決めるのであれば。
じゃー逆に、自分はどういった接し方を
してもらいたいのかを考える。
人は、どういった人にどういった接し方を
するのだろうかを考える。
誰しも最初はプレーンな状態でうまれてくる
事からもわかるように、
生まれた時から礼儀正しく律儀な子が
いないように、自分で後から後から追加を
していきながら、自分を作り上げていく
その結果として自分と言う存在が出来ているならば
それを後から変更する事だって可能なわけです。
自分が決めたら、
自分は周りの人達からどういった接し方を
してもらいたいのか。
を考え再現した場合の効果は一生近く続く。
接してもらいたい形を決める事は大切です。
それに必要となる要素を考えて身に着けるわけです。
さて。
自分はどうやって、出会う人出会う人に
接して欲しいのでしょうか。
もし自分がこういった人になりたいと思った場合。
これから何をすれば、その人に追いつくでしょうか。
自分がやりたい方向を見つけて、そっちに進むのって
すごく良い事です。