自分が話ししていることというのは
どれだけ相手に理解されていないか
そして相手が話してくれたこと
というのはどれぐらい自分が
その会話の中で聞き間違えているか
理解を間違っているか
ということが非常に
わかる時があります
それはそういった会話を音声で必要があって
撮っている時などが
それに該当するのですが
それを後から聞いてみる
という活動してみると
非常に驚くことの連続です
まず自分で話していること
というのを客観的に聞くと
それでは伝わらないだろうな
と思える場面がいかに多いか
ということが分かってきます
これが認識できると自分では
これで伝わるだろうな
と思って話している言葉というのは
伝わって当たり前という感覚で
使っていると
かなり現実とのミスマッチがあるな
ということが分かってきます
会話というのはその場で流れていく中で
行われるものなので
非常に難しいんです
考えるタイミングも
そんなにありませんし
表現を練るタイミングもありません
その場面その場面で浮かんだものを
言葉にしていくので
それが正確に相手に伝わる
なんていうことは考えてはだめだなと
改めてこうやって
後で自分のししてる内容を
聴き直すと思います
それにまたこんな部分でも
驚かされます
お互いに話をしている会話を
聞いていると
こんな話をしたのか???
ということは山ほど出てくる
ということです
こんな話した覚えがない
と言う内容が改めて2時間の会話を
聞いてみるとそういったことは
かなり数多く存在している
ということが分かってくるのです
ですからこれから分かることは
相手からしてみると
これは話したよな
と思ってることを聞く側からしてみたら
全く聞いていない
聞けていない
そんな話題が出たことすら
記憶にないなんてことは
日常的にあるということが
分かってくるわけです
またもうひとつ別の角度での
驚きがあります
それはまた後日にその全体の会話を
聞いてみると
その時に判断したものではない
解釈の仕方が正解
これがまたいっぱい出てくる
ということです
つまりその当日に解釈をした
解釈の内容は的外れ
これが思いのほか多い
そして解釈はどちらが正しいのか
と言うとやはり後日冷静に聞いた方が
ゆっくり聞ける繰り返し聞ける
というのもあるので
こちらの方が正しい解釈と認知に
なるわけです
つまり私たちは常日頃
全然違う解釈を日常的に
しているということなんですね
・まず自分で話ししている言葉
これが伝わりづらい言葉で
話してることが山ほどある
・相手が話していることで
聞けていないこと
覚えていないことが
山ほどある
・話を聞いていても解釈がまるで
間違ってしまっていること
これも度々ある
人との会話の中ではこのようなミスが
山ほど盛り込まれているものなんだ
ってことが分かってきます
これが分かってくると
次にわかるのは
私たちは相手に伝える時には
伝わるように熱心に伝える努力を
する必要がある
話を聞く場合には相手の話を
熱心に聞く必要がある
それでも聞き逃す事が多々ある
そして理解は誤って理解されて
しまうので理解しようと思い
一生懸命に聞く必要がある
自分も相手の話を間違って
解釈することが多々ある
だから一生懸命話を聞き
一生懸命考える必要がある
話は一回で伝わるって
お互いに思っていたら
まず伝わらないので
お互いに一生懸命伝え合おうという
考えの一致も大切になってくる
そうしないとお互いに理解する
というのは難しいんだ
ということが自分たちの会話を
録音し後日聞くと
非常によくわかります
なんかの機会があったら
やってみてください