基本的にその人の能力・考えられることであったりは
遺伝によってかなり決定している
楽しいさを感じる感度であったり
その人の性格的要素も、かなりの部分は
遺伝によって決定している
最初の段階である程度決まっている
多くの範囲を楽しいと感じれるかどうかというのは
生まれながらにしての気質によって
決定されるから
後からはこの楽しいと感じる範疇を
変えていくのは難しい
このように考えられる事が結構広く浸透
している面があります
双子研究などの影響は大きいと思います
結局別々の環境で育てられた双子達も
大人になった後での性格特性が非常に似る
結果になった
この研究によって遺伝子によって自分が感じる
ものであったり、気質・性格というものは
決定されているという意見が多くなり
始めたんですね
これは正しいわけです
平均として見ていけばそうなるよ
ってことなんです
で
平均っていうのは大切なことで
そこがいろんなケースがある中の
ちょうど真ん中だよ
っていうことを示しているわけです
例えば
私たちが今やろうとしている遊びっていうのは
基本的に平均で見たら
ほとんどの男性がうまくいかない
ってことが分かってるんです
インターネットでうまく遊べている人
特に中年以降で遊べている人
って調査するとほとんどいない
かなり稀なケース
ってことになっちゃうんです
じゃあ平均で考えてたら無理だ
ってことになっちゃうんですけど
それって自分の感覚のみに任せたノーマルな
状態でやればそうなる
つまり平均です
平均の男性がやる行動が
自分の適当な感性のみで動く
これが平均でその結果が平均の結果として
何も起こらない
でもここには落とし穴があるんです
この活動をしていく中で
どういったことができるだろうか?
と考えながら活動していく
人間にはどういったことをすると効果的なのか
どういった仕組みがあるんだろうか
っていうのを知っていって
じゃあ自分が望んでいるものを再現するには
どういったことをしていくと可能になるかな
どうやったらそうなれるのか
という前提で取り組んでいく
つまり平均からは外れていく行動を
しようとしてるんです
平均から外れて言った結果
それがうまく再現できるようになるわけです
つまり平均でいるって事は
特に何もしないで、そのままでいる
ってことで
そこから違う結果を手に入れようとする場合は
違うことをやり、違う結論へと自分を導いていき
自然に任せるんじゃなくて
どうやったら狙った方向に行くのかな
と考え続け再現し続けることで
例外になってくんです
これ結構大切な考え方だと思うんです
平均がこうだから
「はい。おしまい
やっても意味ない」
って言うのだとやる気なくすじゃないですか
これって平均の受け取り方の誤りだと思うんです
例えば自分が楽しいと思う感覚っていうのは
確かにそれは親から遺伝します
気質・性格もかなり遺伝で決定されます
ですが
人間の仕組みの方を理解していけば
自分で考え、より楽しい状態に自分をおけば
より楽しく感じる
というのは当たり前です
人間がどの状態になると楽しいと感じるのかは
知っていくと分かるものです
つまり何もしないで普通の状態にいるときに
感じる楽しさ
と
自分が意図的にこの要素を入れると
人間は楽しくなる
と理解した上で作った環境に自分を置くのとでは
結局自分が感じ取れる楽しさの総量は
大きく変わることになるわけです
なぜならば人間がより楽しいと思う環境が
何であるかを理解した上で自分をそこに置くからです
楽しいと思える範疇は広がらなくても
これは気質で決定してしまう所があるから
人間の性質的に楽しいと思える事に
意図的に身をおけるならば
感じる楽しい総量は変える事ができる
それを理解しないでただ自然の感覚に
任せているのとでは当然ながら結果は
違ってくるわけです
というように私達は例外の方例外の方に行こうと
しているので、例外なことをやるので
例外な結論にたどり着くんです