俺はもう完全にわかったマスターした
と思った段階から忘れていく
今、人間関係や女性に関してのことを
この媒体を通じて学んでもらっています
そしてたまに出させてもらう教材なんかも
興味がある人には手にとってもらっています
その中には一つを学ぶことで今までの自分
が劇的に変化するという風に考えてる方も
いらっしゃいます
いくつか学んできたことでもう十分に分かった
という風に判断を下す方もいらっしゃるわけです
私たちというのは学んでいくことで
明らかに成長していきます
その場面なんかで選択した方が良い選択が
できるようになり、その精度なども
上がっていきます
これは学んでいく間
メキメキとその精度上がって行くように
なっています
なのである段階で
よし!もう大丈夫だ
と思う時が来ても不思議ではないわけなんです
が・・・忘れてはいけないことがあります
私たちは忘れていくんです
その時に得た感覚なども、その時はいい精度に
なっていても時間が経過すると忘れていくんです
2週間あたりを目途にして
学ばなくなった場合・実践して考えていくという
習慣を怠るようになると
だんだんと増えていた判断の精度であったり
感覚というものを失っていくということが
分かっているわけです
私たちは残念ながら一度身につけたものを
永遠にキープすることはできないように
なっています
そして何も学ばなくなったところから
自分の偏った考え方が強くなっていき
偏見にまみれた判断を下すようになって
いってしまうのです
なので年齢を重ねて学ぶことをしていない
老人などが偏屈になってしまうというのは
そういった仕組みが関係しているんです
基本的に私たちは新しいことを学ぶというのは
どうしてもストレスがありますし
自分の考え方を変えるというのも
ストレスを感じるようになっています
なぜならば自分の事を変える
というのは本来はリスクがある行為だったので
なので現状の自分を維持しようと
してしまうわけです
ところが今現在では
その変わるということにリスクはなく
逆に今の現状の自分から変化をして行かない方に
リスクがあるわけです
ということも知らないと、自分の中に学びを入れる
入れ続けるということも難しいわけです
さらに言うならば
私たちは全ての角度の物事を学ぶというのは
なかなか難しく
その分野その分野で、その学びの精度を
上げていかなければならないわけです
なのでオールマイティに全てにおいて
判断の精度が上がったり
学びの精度が上がっていき
完璧な人間
なんてものにはなれないわけです
もちろんいろんなことを学んでいくのは
常に大切なことなのですが
ある程度、選択をしていかなきゃいけないわけです
そしてまたこれがわかると
もう一つのことが分かってきます
例えば一つの分野に精通している人が
いるならば
その人に他の事を聞いて
それが参考になると思ってはいけないわけです
なぜならばその人はその分野に関しては
詳しいかもしれない
それはなぜならば学び続けている
学びを重ね続けているから
今の現状の感度であったり
判断基準を持っているわけです
ところが全く違う角度になると
学びを重ね続けていないのですから
そんなに精度の高い判断ができるとは
限らないわけです
人はどうしても一つの分野に詳しい人を見ると
まるで他の分野であったり
オールマイティな優秀さを持ってるように
見えてしまいます
ですがそうではないです
私たちは自分で選んだ分野・興味を持ち続け
学び続けている分野
においては判断の精度が上がるものなんです
そして一つの分野について高い判断能力を
持っている人でも
もう完璧と思って学びをやめたら
そこからどんどんその能力は失われていき
最終的には自分の偏見の方が強くなり
全く的外れなことを主張するようになって
しまうものだったりします
結果的に私たちはいつも自分の中に
積み重ねていくということと
新しい考えを入れていき、その考えを柔軟に
自分の中に取り入れていくということをしないと
結果的に頑固なつまらない下手したら
他人様の害になってしまう人間になってしまう
かもしれないわけです