常々私がお話ししていることの一つとして
私たち男性が自分の人生に満足するためには
女性関係を良いものにすることが
大切だよってお話をしているんですが
ここでなかなか難しいポイントがあるんです
私たちが生きていく中で
一人の女性と長く一緒にいたり
パートナー化する関係になると
それまでの恋愛の形であったり
お互いに一緒にいることを楽しめる間がらから
一緒に生活をする
という間柄に変わるわけです
そうするとそれまでの関係っていうのは
変わっていくわけです
なぜならば例えば交際期間であるならば
お互いに生活は別々なんです
もしもどうしても我慢できないことがあったら
会わなければいいだけですから
ところがです
生活を一緒にしているとそうはいかなくなるんです
いろいろなものが共同での所有になったり
共同で何か大きな物を買う
その代表的なものが家であったりするわけです
そうなると生活の共同体になっちゃうんです
そこで難しい問題が起こってくるのが
これまでお互い別々の存在であったものが
生活を共にすることから
相手にどうしても負担をかけざるを得ない
なぜならば自分の生活がその人と密接に
関係してきてしまうからです
そうすると当然ながらここにすれ違いや
摩擦が起きる最大のポイントになるわけです
なぜならば相手が自分が望んでいるような形で
動いてくれないと全ての負担は自分で背負う・
足かせになってしまうから
そして生活という面で考えていくと
その負担は男性・女性どっちに向かうのか
と言うとこれは圧倒的に女性に向かうんです
もちろん男性が負担を多く背負える
パターンもあります
そういった男性もまれにですがいます
ですが基本的に見えない、生活上の負担
というものに気づけるのは女性側であり
それをこなさなければいけないものとして
淡々とこなすことができるのは
生物的に女性の方が圧倒的に得意なんです
これは男性として生きていれば分かると
思います
学生時代の頃からキチキチしてる男性は
確かにいますけど
自分の周りの友達を見てください
ランドセルの中身の底にはプリントとかが
ぐちゃぐちゃになって溜まって
たりしませんでしたか?
机の中にプリントがぐちゃぐちゃになって
入ってて教科書が入らないみたいなことに
なってる男子っていたじゃないですか
ちなみに私はそのタイプでした
アホな男子でした
こんな性質を持った男子と肩や隣に座ってる女子は
綺麗に整理整頓されているわけです
間違ってもプリントがぐっちゃぐちゃになって
押し込まれたりしてることはなく
プリントはちゃんと家に帰って親に渡す
みたいな事を皆当たり前のように
女子はしてるわけです
こんなような性質の差を抱えた男女が
お互いにお互いへの期待を抱えて
日常の生活に入っていくってのは
なかなかの難しい問題なんです
どう考えてもどういう風に見ても絶対に
不満しか、たまらないようなシステムだな
って考えられるわけです
ではもう少し深く掘り進めて
お話ししていきます