前回はユーモアへの理解度は
その人の判断能力などをはかる
一つのポイントになります
というお話をしました
でユーモアへの理解度が低い人って
どういう傾向が現れるかっていうのを
今回は具体的に掘り下げてお話をしていきます
ユーモアへの理解度が低い人っていうのは
地頭の能力もそんなに高くない
ってことになっちゃうんです
というのもユーモアを理解するためには
多くの知識であったり経験であったり
判断・洞察力など複数の力が必要になる
なので、これは年齢が上がっていくにしたがって
考えることを繰り返したり
洞察する力が上がっていくことによって
だんだんとその能力は高くなっていくものなんです
なので若い時には能力は低くても
その後、上がっていくっていうことも
あり得るわけです
そのために若い時は全然ユーモアへの理解度
がなかったんですが
考え経験を積み知っていくことで
ユーモアへの理解度が高くなり
年を取ってから面白い・興味性の高い人間に
なっていく人もいるわけです
という前提を置いておいて
ではどういった傾向が現れるのかと言うと
ユーモアへの理解度が低いということは
判断する能力も低いということになるんです
判断が低い人ってどういう傾向が表れるのか
って言うと一つの傾向として
一番身近にいる自分自身の能力を見誤る
って事になるわけです
何で能力を見誤るのかって言うと
正しい判断を下す力がないので
自分の能力も正しく判断できない
ってことに繋がっていくわけです
これが分かってくると、今のお話のテーマである
判断力の精度というものにも関係してくるわけです
能力の低い人・判断能力の低い人であれば
当然ながら自分に対しての判断を誤る
ということは
他の部分の判断も謝る
ってことに繋がるんです
ということは私たちが知っておかなければ
いけない大切な事っていうのは
ある出来事があって、その情報を
人それぞれから得るとします
例えば何か問題が起きたら
それぞれの人から聞き取りをして
その人の見てる景色をベースにして話を
聞くわけですけれども
ここでそれぞれの人が言っていることが
全部同じ質の情報なんだ
って思って聞いちゃうとダメなんです
↑
ここ超大切です
判断能力の低い人から出ている情報の信用性
と
判断能力の高い人から出てくる情報の信用性
って全然違うからです
判断能力が低ければ低いほど
その人の言っていることは謝ってる可能性が高く
むしろ質の低く邪魔になる情報の可能性が
あるわけです
能力が高い人は客観的にかつ
合理的に話ができる可能性が高くなります
これはすごく参考になる
能力は低い人は何をベースに判断したら
いいかがわからないので自分の感覚で話をする
のでそこから出てくる情報は質の低いものに
なりがちなんです
例えば、なぜそういった情報になったのか
の理由を聞くと
「自分はその人が好きだから
その人の言っている事が正しい」
という低い精度の情報を平気で出すからです
なので私たちはその人の判断能力は高いか低いか
っていうことを見抜ける力も
持っていないといけないんです
そうしないと人が言ってくる情報は
全部同じ質の情報だ
ってなると私達自身が情報の判断を下すときに
入れる情報自体の質の高低を見極めないで
全部ごちゃ混ぜにすると判断を間違えちゃうんです
なので私たちの判断の精度を高めるためには
情報先の情報の精度を知るためには
どうしたらいいのか
ってことを理解しとかなきゃいけないんです
その一つの判断方法として、その人自体の
ユーモアへの理解度は
その人の判断能力を知るための
一つの指針になる
という点につながるわけです
自分の能力に疑問を感じているならば
自分の周りには能力の高い人がいた方がいいです
私は自分の能力に疑問を持っているので
近しい人間には能力の高い人にいてもらってます
そして何かしら判断を下さなきゃいけない時
判断力の高い人達の意見を聞くことはあります
逆に判断力の低い人達の話っていうのは
申し訳ないんですけど・・・
というように情報も精度で使いわけをする事が
本当に大切です