インターネットがある事に
よって情報は無料化された。
確かにそういった面はあると
思っています。
が、
調べもの。
と
自分の人生を豊かにしていく
ような技術。
とでは意味が違うと思って
いるんですね。
調べもの。
という意味では、インターネットは
果てしなく便利になっています。
自分の人生を豊かにしていく
ような技術。
これってカスタムが必要な
事ですし、その人によって
違ってくるわけです。
さらに言えば、今現在その人が
どういった経験をしてきて
どういった考え方を
持っているかでも違ってくる。
検索して簡単に問題が解決する
って思っていると、全然
問題なんて解決する事はなくて。
10代の男子から、彼女について
迷っている。
「別れた方が良いですか。」
という連絡は本当に山ほどくる。
それは私が発信している一部の
発信内容を見てそういっている。
これがインターネットの怖い
所であり、各々の抱えている
人生に関わる事は決して
解決される事はないと思って
いる部分でもある。
発信している1文の中に、すべての
意味を込めるのは無理だし。
私が100文字程度で、その裏に
ある考え方を伝えるのは
無理だ。
という考え方を理解できない人には
伝えて行く言葉を紡ぎあげる事も
無理なような気がしている。
伝えられる言葉が見つけられない。
でも、生まれた時から
インターネットが普通に
ある世代の人からしたら、
その目の前にある
100文字そこそこの内容をみて
問題はこれで解決できるかもしれない
なんて思ったりする。
解決するはずがない。
人間が関わる問題は、
完結
という形すらないから。
自分それそれぞれが学びながら
自分の考え方を育てていき。
自分の考えを育てるために
知る・学ぶわけです。
緩やかに判断の精度を上げていく
ものだったりするわけです。
だから断片的な情報しかない
インターネットでそれを
やろうと思っても
思ったような成果にならない
んじゃないかなって
思うんです。
インターネットが便利に
検索できるのは、
調べもの
的なものの場合。
自分の人生と人間関係について
検索して解決という形には
たどり着かないです。
細切れの情報に自分の
問題を解決する力はないです。
自分のコストを使わないで
(時間・労力・探す
などの総合的な労力という
意味でのコスト。)
自分の抱えている問題について
が前進する事はないです。