実態はどうであれ、女性からこの人に
依存する対象として見てもらえない
ならばうまく回らない。
というお話を前回しました。
これって、他の部分でも同じような仕組み
が採用されているんです。
例えば、医師の先生っていますよね。
もちろん、色々な先生が存在していたと
思うんです。
医師の先生だと、その先生が言う事は
全部が正しいように感じたり、
言っている事を守らなくてはいけない
ように感じたり。
間違った事は言わないとかって考えたり。
人間的に立派なんだろうって考えたり
すると思うんです。
その先生はおそらく、
尊敬される先生
を自分の中でモデルとしてもっていて、
それをしっかりと演じていたかなと
思うんです。
もしその先生が、白衣じゃなくて
クタクタのプーマーのジャージを着てて、
机の上は汚くて、めちゃ寝ぐせが立っている
ような先生ならば。
不安に思います。
人によっては、他の病院に行こうと考える
可能性だって十分にあります。
その先生がどんなに優秀だとしても、
そういった全体の条件を見ると、
依存ができる対象じゃないと考えるからです。
依存ができる医師の先生には、尊敬が
できる対象としての
イメージ
があるんです。
だから、もしそういった先生だと患者に
感じてもらいたいならば。
そのイメージに沿った自分を作らないと
いけないんです。
これは全部に通じるんです。
できる男性として見られたいならば、
そのイメージに自分を作らないと
いけないんです。
他の女性からも需要が高そうな男性だな。
と感じてもらいたいならば。
それを準備しないといけないんです。
自分でただ口で言っても意味がないんです。
クタクタのジャージ来ている先生が、
「大丈夫です。
私、超優秀ですから。」
といっても信用できないです。
むしろ胡散臭さが倍増します。
先生がジャージで患者を
診てはいけないように。
ネルシャツをタック入りのスラックスに
インして女性の目の前に現れては
いけないんです。
困った事があったら、全部女性に判断を
丸投げしてはいけないんです。
階段を上って、汗かきながら
はぁーはぁー言ってたら、ダサく感じるんです。
事実はとりあえず二の次で、
困った事があって、判断を全部女性に
丸投げしたくなっても、そこは自分で
冷静に判断ができるようにみせなくては
いけないんです。
猫背で縮こまって歩いていると、
すごくヨワヨワしく感じるんです。
女性の依存の対象になれるような男性の
イメージを自分の中で持ち、
そのイメージに自分を近づける。
大切な事です。