話をしている時、言葉の使い方の
間違いであったり、ちょっとした
知識の間違いに気がついたとします。
その時、どっちを大切にするか。
これって会話をする時には地味
だけど大切な事だと思っています。
「こないだ、“いばらぎ”の
筑波山に行ってきて。」
「いばらぎ、じゃなくて、
“いばらき”ね。
これ、結構間違う人多いから。
それで?。」
「うん。。。
そうそう。
あまり東北に行く事なくて。」
「茨城は、北関東って
言われてて、関東なんだよ。
それで?。」
話しずらっ。
ちょっと極端ですけど。
そういった話の中で、間違いが
ある時にさてどうするか。
もし、話の大切な所でそこが間違って
話をされると、話が成り立たない。
このレベルならば訂正をしても
良いと思うんです。
でも、上記のようなパターンは、
特に話を止めて修正するようなもの
じゃないと思うんですね。
会話で大切な事は、
「楽しく話をしてもらう事。」
で、
「正しい情報を話する事。」
は、だいぶ後回しだと思うんです。
話題が楽しく話出来る場合は、
その場の空気が良い時で、リズムが
大切だと思っています。
自由に話ができる。
些細な事は流してもらえる。
多少の間違いは容認してもらえる。
こういった信頼が話しやすい
場面を作ると考えています。
訂正をする事で、その場がもっと
楽しく笑えるような場になるならば
良いかもしれません。
でも、その場合でも話をしている人を
バカにするようなタイプの笑いは
話をしている本人にしてみると
楽しくないので、やっぱりやめといた
方が良いと思います。
間違いをどうしても訂正したいという
のは、結局は自分のためなんです。
相手が楽しくリズミカルに話を
する事よりも、自分が気になる
その間違いを、その流れを止めてでも
指摘したい。
だからこれって、話をしている側
からは心地よくは思ってもらえない。
自分から話を出すのが得意な人
ならばまだしも、得意でない人が
やっと出している場合。
指摘されると話をする事に萎縮
してしまうし、良い事がほとんど
無いんです。