今日のお話はなぜ私たちがちゃんと
条件を揃えているとこんなにも自由に
女性遊びができるのかという点を
掘り下げてお話ししていきたいと思います
こういったことを理解していると
例えばパートナーがいるのに
女性遊びをすることに必要以上に
罪悪感を覚えてしまって全くできない
と思ったりする時の再考する材料になります
別に自分自身がそれでいいと思ってる場合は
それでいいんです
でも罪悪感を抱えたり
常識を押し付けられている
倫理観によって自分がこういった遊びを
してみたいなと思っているのにできない場合は
少し損をしているなと思うのでお話ししていきます
私は基本的にその人がやりたいことをやる
というのを推奨しているので
別に強制をしているわけでは全くありません
女性遊びは興味なければしなければいい
というのが
その人それぞれの正解だと思ってるからです
ただ私自身が昔から一人の女性だけと
一生連れ添って
その女性だけとしか関わってはいけない
というのは早い段階で・・・どれぐらいでしょうか
思春期、その頃にもう無理だな
と強烈に思った想い出があるので
昔からずっと自分のこの感覚は
おかしいんじゃないか
と思い続けてたんです
例えば私達の一夫一妻制の倫理観って
どういう風に作られたのかと言うと
この点もある程度理解しておくと
自分達の欲望であったり
心から浮かんでくる感情について理解しやすい
と思うんです
もともと私たちは狩猟民族だったわけです
狩猟民族の中では人数は少ないのが
コミュニティの形なわけです
そうするとそこで不特定多数の男女が
性交をすることによって起こる
一つの問題というのは
性病
なんです
コミュニティにとって性病が蔓延する
というのは子孫繁栄に大きなダメージを
食らうものなんです
ところが狩猟民族の場合はコミュニティの単位が
少ないので性病が発生しても一過性のもので
終わるわけです
ところが私たちの祖先は、そこから農耕民族に
変わったわけです
農耕民族になってくるとコミュニティの人数は
多くなります
そこで乱交型の性交の形を採用していると
そこで一度、性病が発生してしまうと
コミュニティに猛烈に蔓延してしまって
結局それが子孫繁栄に大きなダメージを
受けるようになっちゃうんです
なので、この形はやばいよね
ってことで不特定多数の男女が自由に
性交すると自分たちのコミュニティを崩壊する
ってことで半ば人為的に性交するのは
一人に止めてた方がいいよね
というルールが作られちゃったんです
ここで分かると思うんですけど
本来私たちは不特定多数の対象に対して
性欲を持ち性交してきたという過去があるわけなんです
つまりベースは乱交なんです
なので男性が多くの女性に興味を持ってしまう
女性が多くの男性に興味を持ってしまう
というのは至って自然な形で
無理やりそこを閉じ込めてるわけなんです
人為的に
なのでそういった乱交の感情持つ事が
人間を原始的にたどっていくと形としては
当然のことなんです
で
このことから私たちがまず気をつけるべき事
ってどこかって言うと
それは次回にお話ししていきます